先日、トトラボとCenter of Arts and Wellnessが主催する、植物療法と芸術療法のワークショップ「Power Plants」に参加した。今回のテーマは、「桜」。
東京世田谷にある砧公園に集合し、まずは参加者同士で、自己紹介やら、桜にまつわる思い出やらを話して、場が和んだ。
そのあと、砧公園の中を各自が自由に自分のペースで歩き、桜の木とじっくり向き合った。桜の木を、見て、聞いて、触れて、匂いをかいで、五感を使って、感覚を研ぎ澄ませてみた。
その後、再度集まり、参加者がそれぞれ自分の「お気に入りの桜の木」を皆に紹介した。私が紹介したのは、「オオシマザクラ」(大島桜)。白い花で、開花とともに、葉っぱも出てくる。ソメイヨシノはあまり香りがしないが、このオオシマザクラは、大変香り高い。ちなみに、桜餅に巻いてある塩漬の桜の葉は、オオシマザクラの葉である。
お昼ご飯を食べたあとは、芸術療法の時間で、砧公園で見た桜から感じられたことやそこから生まれたイメージなどを、日本の伝統色である顔彩を用いて色紙に表現した。顔彩や色紙などを使うとかしこまってしまうが、技術的には、小学生のおえかきレベルで充分。大切なことは、何を感じて、何を表現したいのかということである。
私は、砧公園で見た、大好きなオオシマザクラを描いた。そして、講師から、俳句のように五七五で短く文章で表現するように、と言われたので、俳句を作ってみた。
「花冷えの こころに咲いた さくらいろ」
「花冷え」を表現したのは、砧公園では肌寒かったので、やはり桜の咲く頃は花冷えなんだなと実感したことに加え、最近、職場でのストレスや疲れから、自分のこころが冷えていることもなぞらえてみた。
「さくらいろ」とは、桜の花の色だけでなく、桜の木の枝や幹や葉や根など、さらには桜の木を取り巻く、空や地面、他の桜の木、他の生き物など、桜を生かしている環境のすべての色を含んでいる。桜の花が美しいのは、桜だけのせいではない。生き物は、お互いが助け合って生きているから、それぞれが皆、美しいのだ。だが、桜を美しいと感じるのは、やはり、日本人のDNAなのだろうか。
植物療法では、サクラに関する講義のあと、桜湯を味わい、サクラのチンキ剤を用いたフェイシャルローションを作った。手づくりのローションは、ほのかに、桜の香りがして、癒される。添加物なども一切入っておらず、安心して使える。
さらに、芸術療法で「コラージュ」をした。写真や雑誌の切り抜きを貼り付けて、2010年の自分の目標を、コラージュで表現してみた。私は、このブログを今年3月から始めたので、これからも継続して、奈良や植物の素晴らしさを伝えていきたいという気持ちをこめて、奈良と植物をごちゃまぜにしたコラージュを作成した。
芸術療法では、参加者が自分の作品を発表し、参加者皆で、感じたことを述べて、シェアリングをする。お互いを認め合ったり、自分自身を見つめなおしたりして、自分自身の感性や考え方、生き方を深めることができる。
桜は、日本人の精神性や美的感覚を象徴する花である。それは、日本人としてのDNAのせいもあるのかもしれないが、幼い頃から、身近に桜の花を見て育ち、また、桜の時期になると花見をする大人たちの姿を見て、桜は特別なものだと感じるのだろう。桜の花とその環境が、日本人の美的感覚や精神性を育んでいるにちがいない。
これからも、桜の花を見て、感じて、日本人としての精神性や美的感覚を養いながら、桜をこころの支えにして生きていきたい。
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