先日、東京都日野市にある、高幡不動尊にお参りに行った。
そこでは、今、「あじさい祭り」が開催されていて、色とりどりのアジサイの花が、あちらこちらに咲いている。とかく、アジサイばかりに目を奪われがちであるが、実は、ひそかに、ある場所で八重咲きのドクダミの花が咲いている。
ドクダミはどこにでも生えている野草だが、八重咲きは珍しい。白い花びらにみえるものは、実際は花びらではなく、総苞弁が八重になっているのである。
ドクダミは、ゲンノショウコやセンブリとともに、日本三大薬草のひとつ。昔から日本各地に自生している和のハーブである。
ドクダミは、強い匂いを放つため、嫌われがちであるが、私はドクダミの匂いが好きである。ドクダミでなくとも、草の匂いや、森の木の香りは、人のこころに、安らぎと活力の両方を与えてくれる。
ところで、お寺の境内に薬草が生えているのを見ると、私はどうしても、植物(薬草)と宗教(仏教)の関係性を考えてしまう。
人のこころとからだを癒す植物と宗教は、たぶん、切っても切り離せない強い結びつきがある。
それは、こころもからだも健康でありたいと思う祈りや願いから、医療も宗教も発展してきたからだ。
人類の歴史の中で、最初、宗教家(シャーマンや僧など)が医療も宗教も区別なく担ってきたが、いつしか、二つは別々に分かれていった。
17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトが提唱した心身二元論(実体二元論)は、この世界には、精神(こころ)と物質(もの)という、完全に独立した二つの実体がある、という考え方である。心身二元論では、身体(からだ)は、一部を除いて、完全に物質(もの)として扱われる。
心身二元論があったからこそ、肉体を物質(もの)として冷静に見る西洋医学は、急速に発展してきた。
しかし、人のいのちとは、精神なのか、物質なのか?
こころも、からだも、どちらも大切な人のいのち。どちらも切り離せないもの。
生きていれば、時の流れとともに、歳をとり、確実に、死に向かう。こころのありかたも変化する。
お寺さんに咲いている薬草の花は、何となく効きそうな気がして、ありがたく感じられる。
八重咲きのドクダミは、お寺の片隅で、ひっそりと美しく咲いている。
清楚で凛とした姿は、見つめているだけで、こころを癒される。
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