あをによし 奈良の都の 薬草曼荼羅

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花の香り

今日、神代植物公園に行った。
つつじ園では、タチバナ(橘)が咲いていた(一番上の写真)。
バラ園では、ローズドメイ(「5月のバラ」という意味のオールドローズ、ダマスク系)が咲いていた(真ん中の写真)。
そして、温室では、イェイライシャン(夜来香)が咲いていた(一番下の写真)。
どれも、とてもいい香りのする花である。
もっとも、イェイライシャンは、夜に香る花であるが、少しだけ香りがした。

花の香りは、その場限り。瓶に閉じ込めることはできない。
乾燥させるとか、蒸留するとか、アルコールに漬けるとか、そういう方法で香りを保存するというのもあるけど、その花の本当の香りは、一期一会。つまり、咲いている時だけである。
生きている花の香り、咲いている花の香りは、本当に素晴らしくてこころをうたれる。
最近では、芳香剤や入浴剤やアロマなど、さまざまな香りがある。それらは、すでに生活の一部であり、それらによって、心地よさや快適さが提供されている。
しかし、ほんまもんの花の香りは、生きて、咲いているときだけの一期一会の香りである。そのときにしか咲いていないからこそ、その花に出会えると、喜びや幸せに包まれる。

人間も同じである。
人生には、人それぞれの香りがある。
実際に匂うわけではなく(まあ、赤ちゃんはミルクの匂いとか、年を取れば加齢臭とかといわれたりすることもあるが)、その人の香りとは、その人の人格であったり、個性であったり、想いであったり、願いであったり、夢であったりするのではないかと考える。
自分の人生の香りを例えたら、なんだろうか。
自分を花の香りに例えたら、何の花になるかな。
今度、そんなワークショップをやってみたいな。

tone



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# by tonepedra | 2013-05-25 18:46 | 植物

毒草と薬草と

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あまりうまく撮れなかったけど、この2つの写真は、実家の庭の毒草と薬草。
日陰のところにフキ、ドクダミが生い茂っていて、その中に隠れるようにひっそりと咲くスズランの花。
私は、この3つの植物が大好き。
もちろん、スズランは全草が毒だから食べられないけど。

北海道には、スズラン畑で一晩寝ると死ぬっていう言い伝えがあるらしい。
スズランは本当に可愛らしくて、うっとりする。
うちの実家のスズランは、ニホンスズランらしい。
ニホンスズランは、ドイツスズランよりも小粒で可愛いのだ。
ちなみに、スズランの花言葉は、「幸福」。
毒を持ちながら、「幸福」という花言葉をもつこの可憐な花が、なんだかとっても愛おしく感じる。
毒草でありながら、人間のこころには癒しを与えてくれるから、ある意味、スズランはこころの薬草なんじゃないかなと思う。

人間も、自分自身の中に、毒と薬をもっている。
時には、相手に毒を吐いたり、あるいは薬を与えたりしている。
良いことも悪いことも、実は紙一重のことって結構多い。
相手に同じ言葉をかけても、時には毒になり、時には薬になる。
その時の、その場の雰囲気や相手の表情を読み取ることもすごく大切である。

スズランのように、毒をもっていても、相手のこころを癒すことができるような、そんな力をもちたい。

tone
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# by tonepedra | 2013-04-21 19:49 | 薬草/植物療法

さまざまな桜

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今年の春は、桜の開花が早かったせいで、さまざまな桜を見た気がする。
ソメイヨシノはあっという間に咲き終わったが、ふだんソメイヨシノを楽しむような時期に、シダレザクラ、ヤマザクラ、ヤエザクラなど遅咲きの桜を楽しむことができた。
それにしても、日本人はなぜ「花見」にこだわるのかな?
桜は、ソメイヨシノだけではないけど、なぜかソメイヨシノが終わると、もう桜の時期が終わったかのような雰囲気になる。

私の好きな桜は、白い花を咲かせるオオシマザクラ。オオシマザクラの葉は、ご存知、桜餅を包む塩漬けの葉である。ソメイヨシノの花は香りがないが、オオシマザクラの花は、ほのかに香りがする。ちなみに、ソメイヨシノは、エドヒガンとオオシマザクラの交配種なので、花の形はよく似ている。でも、オオシマザクラは、葉と一緒に花も咲く。

しかし、最近は、花見の時期は花粉症の時期と重なり、さらに中国から黄砂やPM2.5という物質も運ばれたりして、なかなか花見を楽しむことは難しくなってきている。2年前は原発事故もあり、いまだに放射能漏れのニュースもあるくらいだから、生き物が生きていく環境というのは厳しいものになっている。さらに、卒業、退職、入学、就職、引っ越しなど人生の転機の時期でもあり、忙しい人も多い。そんな中でも、やはり「ソメイヨシノ」にこだわる理由とはなんだろうか?「花七日」と言われるように、限られた時期だけに咲く「一期一会」の花の美しさなのだろうか?それは、この世に生まれ、死んでゆく「いのち」の象徴でもある。

花といえば、桜を言うように、日本人にとって、桜は日本人の象徴の花。正式な国花ではないらしいが、ほぼ国花に近い。そして、物事の終わりも始まりも象徴するような花でもある。卒業も入学も、退職も就職も、死も生も。ソメイヨシノは、いったん花が散って、そのあと葉が生い茂る。これが、死と生を同時に象徴しているような気がする。

今年は、風に舞う桜の花びらを何度となく眺めていたのだが、風は花びらを土に還し、養分となって、また新しいいのちを支える。「風火水土」がいのちのもとだといわれているが、桜も人も同じく、「風火水土」と周りの動植物と環境との関係に支えられて生きているのだ。
桜の花びらが散って、土の上で腐っているのを見たら、汚く見えるので、誰も「美しい」とは言わず、見向きもしない。しかし、そのときこそ、土の養分になるために、役にたっている。人も同じで、何もできなくて役にたたないと思えても、実は役にたっている。桜に、さまざまな桜があるように、人にもさまざまな人がいて、さまざまな生き方がある。他人と同じようには生きられない。自分だけにしかできない生き方がある。

今年も、新緑がきれいな季節になった。私は葉桜が好きだ。いのちがあふれているから。

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# by tonepedra | 2013-04-21 16:25 | 植物

2013年の私の目標

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先日、職場の新年会があり、そこで、ミニ・アートセラピーもどきを行った。

新年会なので、新年らしく、ミニ・アートセラピーのお題は、「今年の目標、夢、希望を、漢字1〜4文字で表してみよう」。本当は、お正月も終わったばかりだし、日本人らしく半紙と墨と筆を使いたかったが、場所が居酒屋だったのでそうもいかず(笑)、小さい色画用紙とサインペンを用いた。
各自、好きな色画用紙を一枚選んでもらい、好きな色のサインペンで、自分の思い思いの漢字を書いていた。色画用紙の表には漢字を書いてもらい、裏には理由や思いを文章で書いてもらった。
そして、宴会の最中で、ひとりひとり、自分の今年の目標をあらわす漢字を発表した。理由や思いも、簡単に述べてもらった。「継続」「努力」「変化」「素直」「穏」など、自分自身の内面やこころの内を、体験も交えて見つめて発表してくれた。また、「美容」「細」など、自分の外見と内面の両面を、笑いを交えながら発表してくれる人もいた。
私は、「根」という漢字を書いた。私は、今の職場で働き始めてから、もうすぐ丸10年が経とうとしている。10年を機に、自分の足元を見つめ直し、自分の根っこの部分をしっかりしたい。根は、植物が土から水や養分を吸いとる大切なもの。10年も経つと、たとえ自分が間違ったことをしていても、指摘をしてくれる人が少なくなる。忘れかけてしまっている基礎的な知識や技術をもう一度確認して、より良い知識や技術を身につけたい。そして、自分自身の経験をもとに、他の人の話や行動からも見て学んだことを活かし、自分の「生きる智慧」にしていきたい。
また、「根」は、自分の名前(利根)の漢字の一部であるので、自分の根っこを大切にしながら、自分らしく生きていきたい。

「ミニ・アートセラピー」と言いながらも、場所と時間の関係上、シェアリングをすることができなかったので、アートセラピーとは言いがたく、余興みたいな形になってしまったが、職場の仲間の交流ができて、よかったのではないかと感じている。

シェアリングをきちんとできなかったので、あとで参加者には以下のメールを送信した。

「今日皆さんに書いていただいた今年の目標(夢、希望)は、ポートフォリオの中にはさんだり、ロッカーの内側に貼ったり、家の引き出しに入れたり、自分が時々目にする場所に置いて、時々振り返ってみて下さい。
そして、時々、他の人が書いてた文字を思い出して、今はどんな感じかとか、相手に聞いてあげて下さい。(略)
文字は、『ことだま』です。自分が書いた文字は、魂をもっています。いつか叶うと信じて、お互い頑張りましょう。」

これからも、職場の仲間が楽しく有意義に働いていける環境づくりを目指すために、アートセラピーを少しでもやっていけたらいいな。

tone
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# by tonepedra | 2013-01-25 08:36

純なこころ

年齢を重ねるにつれて、人間の心理状態や周囲との人間関係は、どんどん複雑になり、時に歪み、時にドロドロとしたものになってくる。なかなか純粋なこころを保てなくなってくる。それは、大人になった証拠でもあるが、同時に、たいせつな何かを忘れて生きていることでもある。
子供の頃の純粋なこころをずっと持ち続けることはできるだろうか?
まったく同じに、というわけにはいかないが、ある程度は、持ち続けられている人たちが、私の周りには数人いる。純粋なこころをもっている人たちは、ひとたび夢中になれるものが見つかると、誰が何と言おうが構わず、それをひたむきに追いかけ、ひたすらそれに夢中になり続けるのだ。もちろん、仕事や家事や、やらねばならないことはやるが、それ以外の時間は、大好きなことに打ち込む。それは、趣味であったり、娯楽であったり、有名人やアイドルの追っかけであったりするわけだが、たとえ、他人からどんなに馬鹿馬鹿しいとか意味がないとか言われたり笑われたりしても、絶対にひるむことはない。
私も、そんな強い信念をもって、生きていきたい。

ある人に、こう言われたことがある。
女性に必要なものは「食欲」「趣味・熱(情熱)」「性」「純なこころ」であると。
AB型は二重人格だと世間から言われている上に、もともと性格があまのじゃくで歪んでいる私に、「純なこころ」を求められること自体、正直ハードルが高い(笑)。
でも、好きなものを追いかけるこころなら、持てる気がする。

「純なこころ」をもつことは、簡単なことかもしれない。
でも、簡単なことが、実は、一番難しい。

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# by tonepedra | 2013-01-18 14:48 | 人生の教え/生きる智慧