あをによし 奈良の都の 薬草曼荼羅

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140文字の自己表現

今、世の中では、ツイッターが流行っている。
今のところ、私はツイッターをしていない。
つぶやき(独り言)は実生活で十分しているし、このブログを維持するだけで、今の私は精一杯である。
それに、いつもブログでも長文を書いてしまう私には、140文字という文字制限が、正直しんどい。
だが、数名の方から、「ツイッターやりませんか」とお誘いを受けて、最近、改めてツイッターをのぞき始めてみた。

今まで私が抱いていたツイッターの印象は、「今、何をたべた」とか「今、どこにいる」とか、そういうことをつぶやくものだと思っていた。しかし、改めていろんな人のツイッターをのぞいたら、140文字の中で、めいいっぱい自己表現をされている方々もたくさんいて、感銘を受けた。
たとえば、美輪明宏さんのツイッターは、人生の格言みたいなことが書かれていた。とても簡潔で、しかも格調が高く、美しい文章であった。
村上春樹さんのツイッターは、小説を断片的に読んでいるようで、面白かった。
鳩山総理のツイッターを見ていたら、政治に関する内容はともかくとして、とりあえず、政治家と一般市民の距離を少し縮めることができるツールなのかもしれないと感じられた。

140文字の中には、いろんな人のいろんな人生がつまっている。
私は、やはりツイッターをやる気にはなれないが、短い文章をまとめる訓練は必要だと感じた。
そういう意味で、俳句や短歌、詩などで自己表現をしてみたい。

tone
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by tonepedra | 2010-04-30 00:24 | 社会/環境

平城遷都1300年

今年は、奈良に都ができた年(710年)から、1300年。
ついこの前まで、急ピッチで工事をしていたはずの平城旧跡も、どうやらイベントに間に合ったようだ。
今年の奈良は、とても盛り上がっているらしい。
生まれた当初は「可愛くない」と非難を浴びていた奈良の申し子、「せんとくん」も、いつのまにか愛されキャラになっている。

1300年の歴史を守るということは、並大抵のことではない。
だが、その時代、もしくは、さらに古い時代のものを、奈良や京都はよくぞ守ってきた。
伝統ある文化や建設物、仏像、遺跡などが今まで大切にされてきたことは、日本の誇りである。
奈良の仏像にしろ、お寺にしろ、神社にしろ、古き良き、美しいものは、時の流れがつくりあげた魔法であり、奇跡でもある。

フェロノサが「凍れる音楽」と絶賛した薬師寺東塔は、もとの姿は、西塔のように朱で鮮やかに彩られていた。
だが、鮮やかに彩られたものよりも、時間の流れがつくりあげたもののほうが、色も装飾も落ちて、朽ち果てていても、なぜかはるかに美しく感じられるのだ。


人間にも、時の流れがつくりあげた美がある。
年を重ねて、白髪やしわが増えて、物忘れもするけど、そればかりではない。
それ以上に、内なる感情や智慧が豊かになっているはずである。

1300年たっても、犯罪や戦争はなくならないが、それでも、人間は、ただ一生懸命生きている。
平城遷都1300年を迎えた奈良で、時の流れがつくりあげた、目に見えない美しい宝物を、じっくり見つめていきたい。

tone
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by tonepedra | 2010-04-29 23:24 | 奈良

初夏の風

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今日、東京都世田谷区にある砧公園に行った。
久しぶりに晴れて、青空を見た。日差しがあたたかく、公園には、ゴールデンウイーク初日のせいか、家族連れやグループ、カップルなど大勢の人でにぎわっていた。

砧公園での私のお気に入りの場所は、「八季の坂路」という小道。四季ではなく、さらに、季節を8つに分けて、8つの季節の植物を紹介している。
花期の長いヤエザクラ(八重桜)は、今年まだ頑張って咲いているが、今日の強い風に吹かれて、花びらがハラハラと散っていった。ヤエザクラの花びらの散りゆくさまは、ソメイヨシノと同様に、なかなか風情があって素晴らしいものだが、この時期、この暖かな気候にもなれば、目に留めている人はあまりいなかった。公園にいる人の気分は、もうすっかり夏に向かっているようである。風も草木も、初夏の匂いがする。


今日は、砧公園内にある世田谷美術館で開催されている展覧会「川上澄生 古今東西をあそぶ木版画の世界」を見に行った。
川上澄生の代表作といえば、「初夏の風」である。この作品には、こんな詩が添えられている。


かぜとなりたや
はつなつのかぜとなりたや
かのひとのまへにはだかり
かのひとのうしろよりふく
はつなつの はつなつの
かぜとなりたや


このような詩とともに、木版画には、スカートを風になびかせた美しい女性が描かれている。彼女の前にはだかり、後ろより吹く風は、彼女にそっと寄り添う男性のように見える。
川上澄生には、学生時代に想いを寄せた女性がいた。その女性とは、失恋に終わったらしいが、彼女への想いは、そのあともずっと続いたようだ。彼が想い続けた彼女の姿は、初夏の風のように爽やかで軽やかで、新緑のようにまぶしくて美しかったにちがいない。
そんな強い恋慕が伝わるこの作品は、残念ながら、今回は世田谷美術館では展示されていないが、同じテーマを描いた「ローマ字 初夏の風」を鑑賞することができる。
他にも、明治の古きよきもの、異国情緒のあるものなど、たくさんの作品があり、木版画特有の温かみと、優れた色彩感覚を感じられた。


風は目に見えない。
だが、舞い散る花びら、揺れる枝や葉、葉ずれの音、どこからともなく運ばれた花の香りなど、風はいろんな形で私たちに語りかけてくる。
風を感じることは、いのちを感じることである。

tone
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by tonepedra | 2010-04-29 21:36 | 植物

「日本のハーブ暦」(立夏・小満)に参加して

4月23日、六本木の国際文化会館で、トトラボ(School of Herbal Medicine)主催の「日本のハーブ暦 ~植物と暮らす二十四節気~」に参加した。今回のテーマは、立夏と小満。

「立夏」とは、暦の上での夏のはじまりの日。今年は、5月5日、端午の節句と重なる。この日から立秋(今年は8月7日)の前日までを、夏という。この頃から、気候はさわやかになり、夏の気配が感じられるようになる。
「小満」とは、陽気が高まり、万物がほぼ満ち足りるという日。草木は青々と生い茂り、虫や動物の成長がみられる。今年は5月21日。

5月の雑節には、「八十八夜」がある。八十八夜は、立春から数えて88日目の日。今年は5月2日である。「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る~」という歌でなじみが深く、茶摘みをイメージしがちだが、実はお米と縁が深い日である。米という字が八十八という字から成り立っているように、お米にかかわる縁起の良い日とされている。「八十八夜の忘れ霜(別れ霜)」といわれるように、八十八夜を過ぎると霜が下りないといわれたことから、この日ごろから稲の種まきをする。また、八十八は、8という「末広がり」をあらわす縁起の良い数字が二つ重なっていることから、八十八夜に摘まれた茶を飲むことは、長生きする、縁起が良いとされた。そのため、八十八夜に摘まれた新茶は珍重され、神仏に供えたり、目上の人に贈ったりするそうだ。
しかし、昨日の新聞では、最近の天候不順で、新茶の芽が赤茶色に枯れたと書かれていた。季節の味を堪能することは、ますます難しくなってきそうだ。

5月の年中行事は、「端午の節句」。現代では、「こどもの日」であり、男の子のお祝いであるが、はるか昔の中国の行事が日本に伝来し、奈良時代では、女は薬草を摘み、男は薬になる動物を狩る「薬狩り」の日であった。薬草を摘むことは、とても重要な仕事であったようだ。岐阜の「内藤記念くすり博物館」には、薬狩りの絵が展示してあり、日本のくすりの原点は、この薬狩りであると象徴しているように感じられる。今年、旧暦の端午の節句は、6月16日である。

さて、「日本のハーブ暦」では、毎回、講義のあとで実習を行う。今回の実習では、これから葉桜のシーズンということで、テーマは「桜のスキンケア」。市販の桜花漬(ヤエザクラの塩漬け)から作るチンキ剤と、ヤエザクラのチンキ剤から作るフェイシャルジェルを作成した。フェイシャルジェルには、マリナジェルという天然の海藻から作られたジェルが用いられ、かなりねっとりしている。昆布のようなねっとり感である。フェイシャルジェルは、ほのかに桜の香りを楽しむことができる。チンキ剤は、アルコールの匂いがきついが、八重桜の花びらは可愛らしく、液体が日に日にピンクになっていく様を観察できる。
ちなみに、サクラ(樹皮、オオシマザクラの葉、ヤエザクラの花)には、抗炎症作用や美肌効果があるそうだ。

日本人が平安時代の頃から愛で、国花ともなった桜。ソメイヨシノは、咲いたと思ったら、あっという間に散ってしまうが、この刹那の美をひとめ見るために、人はどれだけこころを躍らせているのだろう。
だが、ソメイヨシノの花が散って、葉桜の季節こそ、薬草としてのサクラの出番である。

tone
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by tonepedra | 2010-04-26 00:20 | 薬草/植物療法

五感で季節を感じる

昨日は夏のように暑いと思ったら、今日は体の底から冷えるような雨が降った。このところの天候不順で、自分自身の体調も崩しそうである。暑くなったり寒くなったりして変わりやすいのが4月の気候であるが、このところの寒暖の差の激しさは、異常気象(温暖化もしくは寒冷化?)を物語っているようである。

そうはいっても、季節が訪れれば、花は咲くし、木々の葉は生い茂る。暑い寒いと言っているが、そうこうしているうちに、早くも、新緑がまぶしい季節の訪れを感じられている。

日本には四季があり、さらに二十四節気がある。また、季節にちなんだ年中行事や地域の行事もある。日本人は、季節感を大切にする民族である。春夏秋冬だけでなく、季節のはざまの移ろいにもいつくしみを感じている。春は、満開の桜を愛で、散りゆく桜の花びらを惜しみ、夏は暑い日の木陰のさわやかな風や川の冷たい水に感謝し、秋は紅葉のさまざまな色合いや美しさを愛で、冬は澄みきった美しい夜空の星に想いを馳せる。なおかつ、春はたけのこ、秋はきのこ、などと食事も季節感を求められている。俳句には季語が欠かせないが、季節を大切にするからこそ生まれたものである。季節をこんなに豊かに感じて楽しめる感性こそ、日本人の独自の民族性であり、DNAなのではないかと感じている。

時代とともに、いったん衰退していた季節の伝統的な行事も、最近は若い世代にも見直されてきている。本屋に行くと、季節の行事に関する書籍も多くみられるようになった。私が愛読しているのは、高橋紀子著「和の行事えほん」(全2巻、2006年、あすなろ書房)である。行事についてわかりやすく説明されていて、なおかつ挿し絵が可愛らしく、子供も大人も楽しめる。

日本の季節の年中行事は、季節の植物を用いたものが多い。お正月にはマツ、節分にはマメ、ひな祭りにはモモ、端午の節句にはショウブ、七夕にはササ、重陽の節句にはキク、冬至にはユズやカボチャなどある。
そして、季節の植物を用いた行事には、健康や長寿を祈願するものが多い。植物の力を通して、神や仏に祈りをささげていたのだ。

季節の行事は、五感で感じられるものが多い。目で見て、耳で聞いて、手で触れて、鼻で匂いを嗅いで、舌で味わって・・・五感を活性化させることによって、植物の力を自分のからだやこころに取り入れることができるのだ。季節の植物には、その時にしかない特別な力がある。現在は、新暦で行事が行われているため、植物をわざわざ温室で育てているが、旧暦で行えば、その季節だけの、旬の植物の力にめぐりあうことができる。

日本人にとって、五感を十分に活用して、季節感を愛でることは、日本人として誇るべき民族性だと感じている。また、このような季節感を通して五感を研ぎ澄ませること、五感で感じられたことを通して自分自身の内面に向き合うことは、こころのケアのひとつともいえる。

季節の行事や植物を大切にしたり、五感を研ぎ澄ませたりすることは、こどもの頃からの情緒教育が大切になってくる。両親が、こどもが幼少の頃から道端の花の名前を教えたり、いろんな行事を体験させたりしていれば、自然や文化や季節感を大切にするように成長するだろう。

だが、大人になってからでも、季節感を愛でることや五感で感じることを大切にするのは、遅くはない。感性を磨き、感受性を豊かにすることは、いつから始めても、決して遅すぎるということはない。こどもからお年寄りまで、こころを育むことは続いているのだ。

こころは、人によってひとりひとり感じ方が違うから、日本人だからといって、すべての人において季節の植物や行事が有効であるとは限らない。しかし、大勢の日本人が春は桜を愛で、秋は紅葉を堪能するわけであるから、やはり、人は植物を自ずから求めているのだろう。自然や植物を自らが欲しているときは、やはり、その場に身をゆだねて、植物や自然に触れ、五感を活性化させ、こころを解き放つことが大切である。ストレスをかかえやすいこの時期、植物や自然を、五感をフルに活用させて「感じる」ことが、ストレス発散やこころのケアにつながる。

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by tonepedra | 2010-04-22 23:45 | 五感

奈良のブルーベリージャムと蜂蜜

今日、奈良のむろう大沢農場から、ジャムと蜂蜜が届いた。
先日、linsshioさんのブログで紹介されていて、とても美味しそうだったので、オンラインショップで注文したのだ。
むろう大沢農場は、奈良県宇陀市室生区にあり、農薬を一切使わず、有機質肥料でブルーベリーを栽培している。私は、室生寺には何度も行ったことがあるが、この農場の存在には気づかなかった。今回、知ることができて嬉しく思っている。

さて、届いたもののうち、一番楽しみにしていた、ブルーベリージャム(スパイスド)を開けてみた。このブルーベリージャムには、香辛料が入っていて、シナモンの香りがとても良い。チーズに合うというので、冷蔵庫に入っていたカマンベールチーズにつけて食べてみたら、とても美味しかった。

蜂蜜はまだ開けていないが、ブルーベリーの蜂蜜は珍しいので、とても楽しみである。蜂蜜は、チーズトーストやクワトロチーズピザにかけて食べてみたい。

しかし、先日も東京で41年ぶりに遅い雪が降ったように、このところの異常気象が心配である。農家の方々が大変だというニュースも最近よく聞かれる。食べることが好きな私は、日本の農家の方々には、ぜひとも頑張っていただきたいと願っている。

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by tonepedra | 2010-04-19 14:03 | 衣食住遊眠

生きることは食べること

NHKの朝の連続テレビ小説の「ゲゲゲの女房」が始まった。
先週の土曜日の放送で、ヒロインの布美枝(松下奈緒)が父親(大杉漣)に、夫となる水木しげる(向井理)のどこが気に入ったかと尋ねるシーンがあった。そこで、父親は「食べっぷり」と答えていた。生きることは食べることだから、食べっぷりはその人の生きる力をあらわす、というような台詞を言っていた。

生きることは食べること、それは人間が生きる最も基本的なことである。口からものを食べられるということは健康のバロメーターでもある。

食べっぷり、といえば、うちの職場の同僚も、食べっぷりの良い人が多い。職場の休憩室に、誰かのお土産のお菓子があるとすると、たいていその日のうちになくなってしまうのだ。食べることは、働くことの活力でもある。

もちろん、栄養のバランスやカロリー摂取量も大切であるが、食べることに喜びを感じることが、何より、幸せの原点である。また、何を食べるかということよりも、誰と食べるかということも大切である。

私の楽しみのひとつは、職場の同期の人との食事会である。時々、「世界グルメツアー」と称して、いろんな国のごはんを食べに行く。ちなみに、最近、同期会で行ったお店でとても美味しかったのは、野菜や薬膳がたっぷりの薬膳鍋が美味しい薬膳火鍋専門店「天香回味(テンシャンフェイウェイ)」である。食べっぷりを発揮しつつ、日ごろのストレスを解消することは、生きるために不可欠である。

生きることは、人生の経験で味わう甘さや苦みなど、いろんな味を噛みしめることなのかもしれない。

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by tonepedra | 2010-04-19 01:42 | 衣食住遊眠

くすり道

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奈良県桜井市にある大神神社は、大和一ノ宮であり、三輪明神とも呼ばれている。地元の人々は、親しみをこめて、「お三輪さん」と呼んでいる。三輪山をご神体としており、日本最古の神社と呼ばれているもののひとつである。

大神神社には、「くすり道」という道がある。大神神社から、その摂社である狭井(さい)神社までの間の僅かな距離であるが、製薬会社の協力で作られており、道の両脇には薬草や薬木が植えられている。人工的に作られた薬草・薬木の道であるが、狭井神社が、くすりの神社であることを象徴している。
狭井神社は、くすりの神様である少彦名大神をまつっているからである。

4月18日は、大神神社と狭井神社の鎮花祭(ちんかさい)の日である。
鎮花祭は、大神神社では毎年4月18日10時半から執り行われる。他にも、関西ではいくつかの神社が行っているようだが、日にちは神社によって異なる。
毎年、桜の花びらが舞い散る頃、花びらとともに疫病が流行ると信じられ、花を鎮めようとした。これが、鎮花祭、「はなしずめのまつり」である。「薬まつり」とも呼ばれている。
鎮花祭では、薬草である百合根や忍冬が供えられる。
そして、神社では、この時期限定の御幣や忍冬酒が授与される。鎮花祭の御幣は、疫病除けのお守りである。忍冬酒は、狭井神社のご神水で作られたもので、からだがよく温まり、関節などの痛みに効果があるとされている。

私は、残念ながら、今年鎮花祭にお参りすることはできなかったが、健康に生きていることに感謝し、これからも健康で生きられることを祈った。

「くすり道」とは、いわば、私たちが健やかに生きるための道しるべである。よく食べ、よく寝て、よく運動する。また、よく感じたり、よく考えたり、泣いたり笑ったりして、精神のバランスを整えることも大切である。こころもからだも、バランスよく生きることが、より良く生きるための道である。

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by tonepedra | 2010-04-19 00:06 | 薬草/植物療法

仏女ブームと仏教の智慧

ここ数年、じわじわと仏像や仏教のブームが来る予感がしていたが、去年(2009年)の「国宝阿修羅展」で、一気に仏像ブームが花開いた。なおかつ、去年は、「仏女」と呼ばれる人々まで登場した。「仏女」とは、「仏像女子」または「仏教女子」の略称で、仏教や仏像が好きな20〜30代を中心とした女性のことを言うらしい。つい昨日、本屋で、丸の内はんにゃ会著「こころ安らぐ『仏教女子』入門」(洋泉社、2010年)という本を見つけた。仏女の仲間入りをしたい方は、ぜひ、読まれるとよい。モデルの「はな」さんも、巻頭でインタビューを寄せられていて、彼女の仏像に対する想いには、大変好感がもてる。「はな」さんこそ、仏女の草分け的存在であろう。

しかし、去年の阿修羅ブームや仏像ブームを、私はどちらかと言えば、ちょっと斜めから、冷ややかに見ていた。実は、東京国立博物館まで足を運んだものの、あまりにも阿修羅展が混みすぎていて、「阿修羅様は、奈良に行けば、こんなに並ばなくても拝めるんだから!!」と意地を張ってとうとう見に行かなかったひねくれ者なだけであるが、私の中で、仏教や仏像に対するイメージや想いは、こういうブームとはちょっと離れたものであった。

私にとって大切なものは、仏教の智慧であって、仏像の美は、本来、それを象徴するものである。私自身はどの宗教、どの宗派にも属していない。あえて言うなら、父親の実家は真言宗、母親の実家は浄土真宗であるが、どちらも素晴らしい教えがあり、どちらが良いとか選ぶことなどできるわけがない。大切なことは、どの宗派を信じるのかということではない。人生をよりよく生きるために、仏教の智慧や教えを、自分なりに活かすことである。

私にとって、仏教の智慧や教えで、大切なことは、「空」というこころである。かたよらないこころ、こだわらないこころ、それが空であると、薬師寺のお坊さんから教わったことがある。偏った考え方やこだわりをもたずに生きられたら、きっと生き方を変えられるだろう。でも、私は、やっぱり、欲望を捨てられず、偏見やこだわりに満ちた人生を送っているのだ。ただ、美しい仏像の前では、少しだけ清らかな気持ちになれる気がする。だから、私は仏像が好きなのかもしれない。

私は、鳩摩羅什(くまらじゅう)というお坊さんが好きだ。鳩摩羅什は、はるか昔、シルクロードの西の小さな国の王子で、戦争に巻き込まれて、過酷で悲しい運命を辿った。しかし、とらわれの身となりながらも、敵国の王にその聡明さを見込まれ、のちに、仏教の教典を中国のことばに訳して、仏教の智慧と教えをもたらした人である。般若心経の「色即是空 空即是色」などの有名なことばは、彼が作ったといわれている。鳩摩羅什は、妻子をもったため破戒僧だといわれているが、私は、それには理由があり、自ら望んで破戒僧になったわけではないと信じている。でなければ、般若心経の、あの美しいことばは生まれてこないはずである。

京都の清涼寺は、鳩摩羅什ゆかりのお寺であるといわれている。清涼寺の釈迦如来像は、インド、中国、日本と三国伝来の仏像といわれている。とても清々しい表情をされた仏さまで、私はいつも鳩摩羅什に想いを馳せて拝んでいる。仏女のかたにも、そうでない方にも、ぜひ拝んでいただきたい仏さまのおひとりである。

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by tonepedra | 2010-04-15 19:28 | 仏像/仏教

青い光に照らされる孤独と寂しさ

2010年3月17日(水)付の朝日新聞夕刊の7面に、「人の価値が下がる時代 張りつく薄い寂しさ」(宮地尚子)という記事があった。それを読み、それからずっとこの記事のことが、いつも頭のどこかに張りついていた。

自殺者が年間3万人を超える今の世の中。電車通勤をする私も、時々、人身事故で電車が遅れるという事態に遭遇する。そして、電車での人身事故に遭遇することで、私は、人身事故をおこした人の想いや人生に気持ちを傾けることなく、「どうしよう、仕事に遅れる」などという、自分のことばかり考えていた。

去年のある日、やはり人身事故で、電車が止まったとき、私は運よくタクシーに乗ることができた。そのとき、タクシーの運転手さんに電車が止まっていることを告げたら、その運転手さんは、ひとこと、「かわいそうに」とおっしゃった。その言葉を聞いたとき、私が自分のことばかり考えて、他人のことを思いやることができない冷たい人間だと思い知った。

この新聞記事で書かれている通り、「人身事故という放送に驚きと憐みを示した時代から、苛立ちに舌打ちする時代へ。やがてそのことへの良心の呵責も消え、もはや諦めが覆い、車内には薄い寂しさが漂う」。まさに私自身だった。

私たちは、会社や職場で、「使える」「役に立つ」「能力のある」人間であることを求められる。しかし、人間として生きていく社会で、いつもそのことばかりを求められていては、ストレスはたまる一方である。仕事である程度、能力が求めれられるのは当然のことではあるが、私たちは、すべてにおいて、「使える」「役に立つ」「能力のある」人間であってはならない。「役に立つ」ということは、良いことばかりではないのだ。本当は、役に立たなくても、「認められる」「愛される」社会を作らなければいけないのだ。しかし、「役に立たない」と思いこんだ人は、精神的にどんどん追いつめられていってしまう。「役に立たない」という思いは、無意識のうちに、人としての価値を下げていき、いつしか生きる目的や希望を失わせてしまう。

ちなみに、自殺者が最も多いのは、3月1日。最も少ないのは12月30日だそうだ。曜日では、月曜日が最多で、土曜日が最小らしい。厚労省は、「生活の変わり目に自殺のリスクが高まる」と分析しているが、生活が変わる前に、精神的なストレスや疲労のサインはいくらだってある。3月から4月にかけては、別れと出会いの季節であるが、桜の花びらが散った後にこそ、葉桜のように生きる喜びに満ちあふれるかもしれないのに、それに気付かずに、桜とともに散ってしまう人もいる。


ところで、私の地元駅のホームの隅に、青い光が照らされている。最近、駅のホームによく設置されている青い光は、「人の心を落ち着かせる心理的な鎮静効果」があるという、自殺予防のための照明である。本当に効果があるのかはともかく、社会や個人の根本的な問題が解決されなければ、おそらくあまり意味がない。

今、人のこころやいのちが、青い光に照らされている。しかし、人工的な青い光からだけでは、人としての価値や生きる目的を照らし出すことはできない。ホームの隅っこの青い光は、人の寂しさや孤独感をいっそう強めているのではないか。そんなことを考えるのは私だけだろうか。

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by tonepedra | 2010-04-13 19:33 | 社会/環境