あをによし 奈良の都の 薬草曼荼羅

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秋の終わりの輝き

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昨日、久しぶりに、砧公園に行ってきた。

砧公園では、12月の中旬になっても、モミジやイチョウがまだ色づいているものもあり、季節としては冬が始まっているけど、秋の終わりの輝きを見せていた。

一番上の写真は、砧公園で拾った、秋のふきよせ。葉っぱは時間がたつにつれて、鮮やかだった色が茶色くなったり、カサカサに乾いたりする。だから、この時だけの、一期一会のアート。季節感を感じられるからこそ、いのちの輝きや美しさ、大切さを実感させられる。モミジの赤や橙や黄色は、いのちが燃えているような色。葉が落ちる前に見せる美しい色は、いったい何を伝えたいのだろう。

二番目の写真は、イチョウの落ち葉がとても綺麗だったので撮った。落ち葉を踏んで歩くのは楽しいけど、誰にも踏まれてほしくない、という気持ちもある場所。

一番下の写真は、青空と木々の葉の色合いが綺麗だったから。写真ではあまり綺麗に見えないかもしれないけど、この場所も私のお気に入り。散歩するのにはちょうどよい小道である。

何てことない普通の風景だけど、自然が作り出す秋の色の素晴らしさに、こころとからだが癒された。


春は桜、秋は紅葉。
なぜ日本人は、桜や紅葉を愛でるのだろう。子供の頃はわからなかったが、いや今でもよくわからないが、日本人の精神性をあらわす象徴的な植物であるということは確かだ。
桜や紅葉だけでなく、季節ごとに咲く花や植物を愛でることで、日本人としての精神性を少しでも高められたらいいな。
そして、春はお花見、秋は紅葉狩り、という文化(風習)を、日本人として、続けていきたい。

tone
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by tonepedra | 2013-12-12 21:57

こころの梅雨に咲く花

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今年も梅雨が来た。
梅雨に咲く花と言われて連想する花No.1は、おそらくアジサイ(紫陽花)だろう。じめじめした蒸し暑い季節に、爽やかに美しく彩られて咲く花。

でも、今日これから書くことは、花のことではなくて、いじめの問題。

深夜、たまたまつけたTVで、爆笑問題の「バクモン」っていう番組で、いじめの問題をやっていた。
番組の中で、不登校の生徒が通う中学校が紹介され、なかなか興味深かった。教師のことを先生と呼ばないとか、職員室はスタッフルームと呼ばれていて生徒が自由に出入りするとか。あと、男子トイレを個室化するというのも、生徒からの提案でやったとか、そういう細やかな環境づくりも大切なのだろう。美術や音楽やいろんな分野で才能をもつ子供達がたくさんいて、そういう小さな芽が、こういう学校環境なら、将来大きく成長しそうな予感がした。

あと、太田光が言っていたが、「笑いはいじめ」だってこと(笑いといじめは紙一重)も、なんかわかる気がする。人を馬鹿にして笑うという行為が、快感だったり、癒しだったりするってこと。で、馬鹿にされた人は、それをどう受けとめるのかということも大切。その時の場の雰囲気とか、まわりに誰がいたかとか、自分の精神状態とかにも寄るんだろうけど。人から馬鹿にされて、それを「いい意味での笑い」に変えることも大事だし、さらりと交わすことも大事だし、言われて嫌なことは相手にきちんと伝えることも大事。人とは違うってこともその人の個性だから、それを認め合うってことも大切。
もし、他人の失敗や面白いと思ったことをネタにして笑うとしても、その人に対する尊重や思いやりや愛情があれば、おそらくいじめにはならないと思うけど、それは、ふだんのコミュニケーションとか、その場の雰囲気とか、信頼関係とかにもよるのだろう。

たぶん、この世から、いじめは決してなくならない。
けれど、もし、いじめられてしまったとき、誰かに相談する勇気、その場から逃げる勇気、自分を変えようとする勇気をもつことが必要である。そういうこころの強さをもつために、こころを自由に豊かにすることが、たぶんこれからの世の中に必要とされることだろう。

梅雨に咲く花の美しさは、じめじめした蒸し暑い中で咲いているから、美しいと感じられる。いじめも、時にはじめじめした陰湿なものになるが、そうした中でも、自分のこころの中に花をもって生きていけたらいいな。

tone
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by tonepedra | 2013-06-04 09:46

2013年の私の目標

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先日、職場の新年会があり、そこで、ミニ・アートセラピーもどきを行った。

新年会なので、新年らしく、ミニ・アートセラピーのお題は、「今年の目標、夢、希望を、漢字1〜4文字で表してみよう」。本当は、お正月も終わったばかりだし、日本人らしく半紙と墨と筆を使いたかったが、場所が居酒屋だったのでそうもいかず(笑)、小さい色画用紙とサインペンを用いた。
各自、好きな色画用紙を一枚選んでもらい、好きな色のサインペンで、自分の思い思いの漢字を書いていた。色画用紙の表には漢字を書いてもらい、裏には理由や思いを文章で書いてもらった。
そして、宴会の最中で、ひとりひとり、自分の今年の目標をあらわす漢字を発表した。理由や思いも、簡単に述べてもらった。「継続」「努力」「変化」「素直」「穏」など、自分自身の内面やこころの内を、体験も交えて見つめて発表してくれた。また、「美容」「細」など、自分の外見と内面の両面を、笑いを交えながら発表してくれる人もいた。
私は、「根」という漢字を書いた。私は、今の職場で働き始めてから、もうすぐ丸10年が経とうとしている。10年を機に、自分の足元を見つめ直し、自分の根っこの部分をしっかりしたい。根は、植物が土から水や養分を吸いとる大切なもの。10年も経つと、たとえ自分が間違ったことをしていても、指摘をしてくれる人が少なくなる。忘れかけてしまっている基礎的な知識や技術をもう一度確認して、より良い知識や技術を身につけたい。そして、自分自身の経験をもとに、他の人の話や行動からも見て学んだことを活かし、自分の「生きる智慧」にしていきたい。
また、「根」は、自分の名前(利根)の漢字の一部であるので、自分の根っこを大切にしながら、自分らしく生きていきたい。

「ミニ・アートセラピー」と言いながらも、場所と時間の関係上、シェアリングをすることができなかったので、アートセラピーとは言いがたく、余興みたいな形になってしまったが、職場の仲間の交流ができて、よかったのではないかと感じている。

シェアリングをきちんとできなかったので、あとで参加者には以下のメールを送信した。

「今日皆さんに書いていただいた今年の目標(夢、希望)は、ポートフォリオの中にはさんだり、ロッカーの内側に貼ったり、家の引き出しに入れたり、自分が時々目にする場所に置いて、時々振り返ってみて下さい。
そして、時々、他の人が書いてた文字を思い出して、今はどんな感じかとか、相手に聞いてあげて下さい。(略)
文字は、『ことだま』です。自分が書いた文字は、魂をもっています。いつか叶うと信じて、お互い頑張りましょう。」

これからも、職場の仲間が楽しく有意義に働いていける環境づくりを目指すために、アートセラピーを少しでもやっていけたらいいな。

tone
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by tonepedra | 2013-01-25 08:36

秋に咲く桜

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桜といえば春、と思い浮かべるが、実は、秋に咲く桜もある。ジュウガツザクラである。

春に咲く桜ほど華やかではないが、つつましく可憐である。遠くから見ると、白い雪か紙吹雪が枝に降ったかのようにも見える。

今年は、震災や原発事故で、ちょうど花見の時期は、美しい桜の花が咲いていても、放射能が気になり、こころから桜の花を愛でるような気持ちにはあまりなれなかった。今になって、ようやく気持ちも落ち着き、桜の花を堪能できるようになってきたのではないだろうか。

震災や原発事故は、まだ大きな傷あとや余波を残しているが、それでも、花は咲くし、鳥は飛ぶし、四季はめぐるし、人は生きている。
どんな状況でも、とりあえず、生きていくことが大切である。

地味で目立たないけど、美しく咲いている十月桜を愛でながら、この場で自然の美しさを堪能できる自分を幸せだと感じられた一日だった。

tone
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by tonepedra | 2011-11-14 19:06

秋の贈り物

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今日、久しぶりに砧公園での芸術療法ワークショップに参加した。
今日は爽やかな小春日和。公園は、あたたかくて穏やかな秋の陽射しに包まれていた。モミジの紅葉はまだだが、色とりどりの木々の紅葉が、陽射しにキラキラと輝いていた。

今日のお題は、公園の落ち葉や枝や木の実などを拾って、その場かぎりのアートを作ること。私は、写真のように、落ち葉とどんぐりを使って、4枚の画用紙に、『秋の贈り物』を表現してみた。

まず、左上は、落ち葉やどんぐりが入ったギフトボックス。箱の下に描いた水色は、空の色でもあり、水の色でもあり、いのちの色でもある。
左下の絵は、いろいろな色の葉を描いてみた。時々、落ち葉やどんぐりを混ぜながら。
右上の絵は、さまざまな色に紅葉した樹を描いた。これから落葉して枯れようとするいのちに対して、老化とか死とかのイメージではなく、生への喜び(再生への期待、希望)をこめて。
右下の絵は、私の大好きな「奈良三彩」の基調となる黄色と緑色を描き、その上に黄色と黄緑色の葉やどんぐりを乗せた。黄色と黄緑色が混じった黄葉は、とても綺麗だったからだ。

で、今日はこんな詩を添えてみた↓


『秋の贈り物』

秋は落葉がきれい。
緑色から黄色、赤色、オレンジ色、茶色などへと変わっていくのを見るのは楽しい。
時がたつと、人もいろいろと変わっていく。
食べるものも、着るものも、付き合う人も、趣味も、行く場所も。
でも、こころの奥底にある芯は、そう簡単には変わらないし、変えられない。
葉が落ちて、枯れてしまっても、春には再び若い芽や葉や花が生まれるように、人のこころも、何度でも花咲くことはできるはず。
これからも、いろんな花を咲かせて、いろんな色を楽しめる人生を送りたい。
そして、枯れていくいのちを大切にしたい。



花も実も終わって、葉っぱが落ちて、枝と幹と根っこだけになった木は、見かけは枯れ木だけれど、死んでいるわけではなく、春をじっと待っている。人間も、年を重ねると、見かけは老いてくるが、中身はワインが熟すように、味わい深くなってくる。
年を重ねることは、しわやしみが増えたり、カサカサと乾燥したり、動くのがしんどくなったり、物忘れがひどくなったり、嫌なこともあるけど、いいことや楽しいこともたくさんあるんだって、信じて生きていきたい。年を重ねると、こんなにキラキラ輝けるんだよって、彩り豊かに色づいた木々の葉っぱたちが、私たちにそっと教えてくれる。それが、ささやかな秋の贈り物。

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by tonepedra | 2011-11-14 18:31

日本人の生死観と桜の花

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今年の桜は、おそらく、多くの日本人にとって、今までとは異なる、特別な意味をもっていたのではないだろうか。
2011年3月11日の東日本大震災によって、日本人の価値観は大きく変わった。原発や放射能に対する意識も大きく変わり、自然や環境保護の大切さに目を向けるようになった。

今年は、地震や放射能の影響で、花見や花見関連のイベントを自粛する場面が多々見られたが、桜の花は、例年のように変わらず美しく咲いた。もちろん、長期的な視野で見れば、桜の花も放射能の影響を受けているのだろうが、どんな時でも、やはり桜の花は美しい。そして、どんな時でも、桜を愛でるこころは、日本人として忘れたくないと感じている。

桜は日本の国花であり、日本人のスピリチュアリティ(精神性、魂)の象徴を表す。日本人の生き方として、桜のように美しく花を咲かせ(物事を成し遂げ)、桜の花びらが散るように美しく潔く終わる(身を引く、死ぬ)ことが美徳とされてきた。
桜の花のように美しく生き、美しく死にたい。日本人の生死観(しょうじかん=仏教用語における死生観のこと)や美意識は、桜の木の一生、特に花の一生に凝縮されているような気がする。

坂口安吾の名作『桜の花の満開の下』では、「桜の木の下には死体が埋まっている」とあったが、日本人は、自然の中に、生と死が共にあるという、自然に寄り添うシンプルな生死観をもっているからではないかと感じている。


今年の桜の花はすでに散ったが、葉桜は美しく萌え、成長している。
風薫るこの季節は、目に青葉が眩しく、新緑がみずみずしい。生命力あふれるこの季節を、五感を使って体感したい。季節感を感じることは、日本人としての情緒や感性や美意識を養う。

今、日本は、地震や原発事故や放射能汚染によって、崩れかけている。だが、そんな今だからこそ、生命の素晴らしさ、自然の大切さ、環境が与えてくれる恩恵、人間として生きる意味や目的について、広く深く考えてみたい。

来年の桜の季節は、誰もが安心して屋外に出られて、お花見を楽しめるようになるといいな。そんな笑顔の花がいっぱい咲くような素敵な世の中になればいいな。

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by tonepedra | 2011-05-02 10:16

モミのリップクリーム

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「清里高原 冬のハーブ実習」で、清里の森のモミでリップクリームを作った。

まず、モミの葉と枝を細かく刻み、マカダミアナッツ油と混ぜて、湯煎にかけて、温浸油を作る。そのあと、モミの温浸油とミツロウを混ぜて、湯煎にかけて熱し、ミツロウが溶けたら火を止めて容器に注ぎ、冷めたら固まって、できあがり。

植物療法において、モミは、抗菌作用、去痰作用、血行促進作用、消炎作用、鎮静作用がある。何より、こころとからだを癒したり、活気づけたりする良い香りがある。

講義では、ヒルデガルドの言葉が紹介された。

「樅は冷たいどころか温かく、さまざまな力をうちに秘めている」

モミは、冬の寒さの中で、私たちのこころやからだを温めてくれる。そして、甘く爽やかな香りを放ち、こころとからだの調和へと導いてくれる。

冬に乾燥しがちな唇や肌を、しっかり温めて、しっとりと潤してくれる、モミ。リップクリームとしてだけでなく、軟膏としても使える。水仕事や寒さで荒れた手にも、モミは優しく温かく包んでくれて、傷をそっと治してくれそうである。

そして、私も、モミのように、温かく、優しい人間になりたい。モミのように、時に誰かを元気づけて、時に誰かを癒すことができるような、そんな人との関わりができたらいいな。

tone
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by tonepedra | 2011-01-30 22:06

「清里高原 冬のハーブ実習」

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1月29〜30日、トトラボ主催のワークショップ「清里高原 冬のハーブ実習」に参加した。場所は、山梨県の清里、キープ協会の清泉寮。八ヶ岳などの山々に囲まれ、自然に恵まれた素敵な場所である。

プログラムは、1日目が「森に親しむ」(冬の森の散策)「あったか植物染めに挑戦」「冬にぷるぷるリップクリームづくり」、2日目は、「森の春探し・森のスタンプ」「お肌しっとりクリームづくり」であった。

最初のプログラム「森に親しむ」では、ところどころに雪が残っている清里の森の中を歩いた。冷たい風が頬に当たり、こころまで凍りつくようだったが、澄みきった森の空気は、私たちを凛とした爽やかな気持ちにさせてくれた。

プログラムの中で、森の中で「自分と似ているもの」を探して、それを使って自己紹介する、というものがあった。参加者は皆、雪や木や葉や木の実など、思い思いのものを自分にたとえて、どんなところが似ているとか、こんなふうになりたいとか、そんな話を交えながら自己紹介をした。
私は、自分に似ているものとして、「クマザサ」の葉をあげた。クマザサは、清里の森の下を覆い、森の木々と共存しながら、日陰でひっそりと、でも逞しく生きている。また、冬でも、葉の周囲の半分くらい枯れているが、葉の中央部の半分くらいは緑色を残している。厳しい冬の寒さの中で、緑色を残して頑張って生きている。そんな生命力あふれるクマザサの姿に、自分も頑張りたいという気持ちをこめて、クマザサを「自分と似ているもの」として、選んだ。

清里の森で、緑色を残している代表的な常緑樹のひとつに、モミがあげられる。
モミは、クリスマスツリーとして有名であるため、西洋の木だと思われがちであるが、実はもともと日本に生えている木なのである。諏訪大社の御祭では、御柱として、モミが使われている。つまり、聖なる木、神の木なのである。
清里のモミは、綺麗な空気(風)、水、太陽、土、周りの動植物に支えられている。そして、穏やかで清らかで優しい森の香りがする。
森の中のモミの木は、見上げると、冬の太陽を浴びて、神々しい光のオーラを放っていた。そして、モミの木の根っこは、しっかりと大地に根差していて、深い愛情と安心感を与えてくれた。まさに、天と地をつなぐ、宇宙樹(コスミックツリー)だと実感した。

清里の森のモミの木から、枝を少しいただき、その夜、私たちはモミのリップクリームを作ったが、その話はまた後ほど。

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by tonepedra | 2011-01-30 19:30

恋に効く切符

東京メトロ(地下鉄)で、2011年1月8日から、「恋愛成就 パワースポットめぐり」一日乗車券が発売されるらしい(5000枚限定)。
一日乗車券(大人710円)を買うと、「恋に効く!特製フォトアルバム」がプレゼントされて、東京メトロで行ける、縁結びなどにゆかりのあるパワースポットで、自分で写真を撮って貼り付けるというものらしい。
ちなみに、東京メトロで行けるパワースポットとして紹介されているのは、東京大神宮、明治神宮、今戸神社、出雲大社東京分詞、日枝神社である。

恋に効くかどうかはともかくとして、世の中のパワースポットブームを象徴していることが感じられた。
自分自身が効くと感じる場所が、自分のパワースポットになるので、直感と感性を大切にして生きていきたい。

tone
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by tonepedra | 2011-01-02 06:56

石の教会と内村鑑三

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先日、長野県軽井沢町にある「石の教会 内村鑑三記念館」を訪れた。

石の教会は、アーチ状の石とガラスが交互に重なってできている。外から見ると、石のアーチがドミノ倒しのように見える。その日は雨が降っていて、石の教会は雨に濡れて、美しく光っていた。

石の教会を構成する要素は、石は男性を表し、力強さを象徴する。ガラスは女性を表し、ガラス越しの光から、女性の輝きや美しさを象徴する。
石とガラスが重なっているのは、男性と女性、または、人間と人間が、重なり合い、支え合い、ともに生きる人生を象徴しているらしい。

内村鑑三は、1897(明治30年)7月、『夏期演説 後世への最大遺物』で、こう述べている。

ひとは後の世に何を遺せばいいのか。お金もいいだろう。立派な事業を遺すのも大事である。しかし、思想を遺すのも、お金も事業を遺せる者と遺せない者がいる。そういう偉大な仕事を遺せない者には何ができるか。だれにでもできて、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは「勇ましい高尚なる生涯」である。

さて、内村鑑三が述べている「勇ましい高尚なる生涯」とは、何だろう?私は、とてもそんな人生を送れそうにはない。
でも、私にとって、内村鑑三の思想や精神は、「自然のなかに、神や仏が宿る」という日本古来の宗教観をとても大切にしているように思える。

ありふれた日常生活や何気ない風景の中に、神や仏はそっと宿る。もの言わぬ草や木や石ころにも、私たちは何かを教えてもらう時がある。
日本にもともとあった神仏習合の宗教観を大切にしながら、キリスト教を広めようとした内村鑑三は、「勇ましい高尚なる人生」を歩んだ方なのだと感じられた。

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by tonepedra | 2010-11-07 12:41