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あをによし 奈良の都の 薬草曼荼羅

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桜の花と人生観

日本人にとって、桜は特別な花である。日本人にとって、これほど開花が待ち遠しい花はないはずだ。
桜は、春の訪れを告げたり、別れや出会いの季節を感じさせたり、恋や人生や生き方になぞらえたり、とにかく、日本人の人生観そのものを象徴している。
私は、ソメイヨシノより、オオシマザクラという白い桜が好きである。オオシマザクラは、桜餅の葉であるが、実も赤くて可愛い。 ソメイヨシノは香りがないが、オオシマザクラは花もほのかに香り立つ。
何より、オオシマザクラの白い花をみていると、純粋な気持ちになれるような気がする。昔、ある人に、女性に必要なものは、「純なこころ」「趣味(熱)」「食欲」「性」だと言われたことがある。そのすべてが、オオシマザクラにはあるような気がする。白く美しい姿は、「純なこころ」、その花を見たいと思う気持ちは「趣味(熱)」、葉っぱや実は食べられるので「食欲」、そしてその花の美しさや香りに惹かれる想いは「性」。
自分の生き方、人生観が、桜の花のように美しく純粋で潔いとは思わないが、少しでも近づけたらいいなと思う。
今、桜の木には、すでに花はなく、新緑の葉を茂らせている。みずみずしく美しい葉と、力強い枝や幹、そして、見えない場所でいのちを支える根っこ。花はわずかな期間しか咲かないが、人生も花咲く時期ばかりではない。折れそうになったり、枯れそうになったりすることもある。けれど、夢を咲かせるために、人は何歳になっても、いろんなことに夢中になれる。桜の花が咲くように、自分の人生のキャンバスにも、自分の好きな色や形で、自由に夢を描いていきたい。

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# by tonepedra | 2016-04-29 03:33 | 植物

一陽来復のお守り

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今日は、早稲田の穴八幡宮をお参りしてきた。
松の内を過ぎたが、土曜日ということもあるためか、境内は参拝客で賑わっていた。

穴八幡宮は、金銀融通や商売繁盛にご利益があるとされ、昔から多くの人々から信仰されている。

穴八幡宮では、冬至から節分までの間にだけ頒布される特別なお守りがある。「一陽来復御守」は、金銀融通のお守りで、円すい形をした、ちょっと変わったお札である。

「一陽来復御守」は、冬至、大晦日、節分のいずれかの夜中の0時にお祭りすることになっている。お祭りする方角は、毎年異なり、柱か壁のなるべく高い場所に貼ることになっている。

冬至は、昼間の時間が最も短く、夜の時間が最も長い日とされている。昔の人は、冬至に向かって日が短くなると、太陽の力が弱くなって人間の魂も衰える、と考えていた。しかし、冬至を過ぎれば、太陽の力は蘇り、人間の魂にも精気が戻るとされていた。そのため、冬至は、「一陽来復」と言われ、太陽の力が復活する日とされて、日本だけでなく世界の各地で、冬至は昔からお祭りされていた。

冬至、大晦日、節分、どの日も、冬が終わって春が来ることを意味する。しかし、冬至は、太陽が復活する日であることから、最も大切な日である気がする。なぜなら、太陽は、いのちの源であり、こころに活気を与える光であるからである。クリスマスは、キリストの誕生日を祝う日であるが、ヨーロッパの古来の冬至祭と結びついたという説があるのも、偶然ではない気がする。昔の人にとっては、現代以上に、太陽の力が、大切なものであったはずだ。

これから、ますます寒い日が続くが、太陽の力や自然の恵みを感謝して生きていけるようにしたい。

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# by tonepedra | 2014-01-11 23:25 | 人生の教え/生きる智慧

秋の終わりの輝き

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昨日、久しぶりに、砧公園に行ってきた。

砧公園では、12月の中旬になっても、モミジやイチョウがまだ色づいているものもあり、季節としては冬が始まっているけど、秋の終わりの輝きを見せていた。

一番上の写真は、砧公園で拾った、秋のふきよせ。葉っぱは時間がたつにつれて、鮮やかだった色が茶色くなったり、カサカサに乾いたりする。だから、この時だけの、一期一会のアート。季節感を感じられるからこそ、いのちの輝きや美しさ、大切さを実感させられる。モミジの赤や橙や黄色は、いのちが燃えているような色。葉が落ちる前に見せる美しい色は、いったい何を伝えたいのだろう。

二番目の写真は、イチョウの落ち葉がとても綺麗だったので撮った。落ち葉を踏んで歩くのは楽しいけど、誰にも踏まれてほしくない、という気持ちもある場所。

一番下の写真は、青空と木々の葉の色合いが綺麗だったから。写真ではあまり綺麗に見えないかもしれないけど、この場所も私のお気に入り。散歩するのにはちょうどよい小道である。

何てことない普通の風景だけど、自然が作り出す秋の色の素晴らしさに、こころとからだが癒された。


春は桜、秋は紅葉。
なぜ日本人は、桜や紅葉を愛でるのだろう。子供の頃はわからなかったが、いや今でもよくわからないが、日本人の精神性をあらわす象徴的な植物であるということは確かだ。
桜や紅葉だけでなく、季節ごとに咲く花や植物を愛でることで、日本人としての精神性を少しでも高められたらいいな。
そして、春はお花見、秋は紅葉狩り、という文化(風習)を、日本人として、続けていきたい。

tone
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# by tonepedra | 2013-12-12 21:57

風と空と緑と・・・奈良の色

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もう何ヵ月も前になるが、6月のある日、1泊2日で奈良に行ってきた。

1日目は、東大寺大仏殿、二月堂、三月堂、春日大社、興福寺、奈良町、薬師寺に行った。いわゆる、修学旅行で行くような、定番コースである。そして2日目は、ちょっと足をのばして、室生寺と長谷寺に行った。

1日目、奈良国立博物館の裏を通りかかった時に、地元の人に声をかけられ、大きなムクロジの木に、タケが生えているのを見た(1番上の写真)。どうやら、ムクロジの幹が空洞になっていて、近くに生えていたタケが地下から根を伸ばして、幹の中から、タケノコを生やして、それがぐんぐん伸びてきたらしい。タケの生命力の強さと美しさを感じられた。こういうのを共生と呼べるのかわからないけど、ムクロジもタケも、全く違う生き物だけど、お互いちょっとずつ我慢しながらも、何とか一緒に生きているところがいいなと感じた。

2日目に行った室生寺は、別名「女人高野」と呼ばれている、女性のための修行のお寺。昔は、高野山が女人禁制だったため、高野山に入りたくても入れない女性は、このお寺で修行したらしい。このお寺は、仏像も女性的なお顔をされている。十一面観音様は、国宝にも指定されており、特に美しいお顔である。昔の人は、こんな美しい仏様を、よくぞ作ったなと感心してしまう。いや、昔のほうが、人のこころも豊かで美しかったのかもしれない。
室生寺は、山道を登ると、舞台作りの御堂がある。そこから眺める景色は本当に素晴らしく、風も空も緑も、優しく美しく心地よく感じられた。こんなに美しくて心地よい自然に触れながら、お寺で祈ることができるのは、幸せなことだと感じられた。

風も空も緑も心地よく感じられる場所、それが奈良である。私にとっては、何度でも行きたくなる、まほろばである。
まほろばの奈良の色は、澄みきった青い空のスカイブルーであり、木々の緑や茶色である。そして、風は、何にも染まらない透明でありながら、さまざまな色を運んでくれる。

また、風と空と緑を感じたくなったら、奈良に行こう。

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# by tonepedra | 2013-10-07 20:14 | 奈良

こころの梅雨に咲く花

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今年も梅雨が来た。
梅雨に咲く花と言われて連想する花No.1は、おそらくアジサイ(紫陽花)だろう。じめじめした蒸し暑い季節に、爽やかに美しく彩られて咲く花。

でも、今日これから書くことは、花のことではなくて、いじめの問題。

深夜、たまたまつけたTVで、爆笑問題の「バクモン」っていう番組で、いじめの問題をやっていた。
番組の中で、不登校の生徒が通う中学校が紹介され、なかなか興味深かった。教師のことを先生と呼ばないとか、職員室はスタッフルームと呼ばれていて生徒が自由に出入りするとか。あと、男子トイレを個室化するというのも、生徒からの提案でやったとか、そういう細やかな環境づくりも大切なのだろう。美術や音楽やいろんな分野で才能をもつ子供達がたくさんいて、そういう小さな芽が、こういう学校環境なら、将来大きく成長しそうな予感がした。

あと、太田光が言っていたが、「笑いはいじめ」だってこと(笑いといじめは紙一重)も、なんかわかる気がする。人を馬鹿にして笑うという行為が、快感だったり、癒しだったりするってこと。で、馬鹿にされた人は、それをどう受けとめるのかということも大切。その時の場の雰囲気とか、まわりに誰がいたかとか、自分の精神状態とかにも寄るんだろうけど。人から馬鹿にされて、それを「いい意味での笑い」に変えることも大事だし、さらりと交わすことも大事だし、言われて嫌なことは相手にきちんと伝えることも大事。人とは違うってこともその人の個性だから、それを認め合うってことも大切。
もし、他人の失敗や面白いと思ったことをネタにして笑うとしても、その人に対する尊重や思いやりや愛情があれば、おそらくいじめにはならないと思うけど、それは、ふだんのコミュニケーションとか、その場の雰囲気とか、信頼関係とかにもよるのだろう。

たぶん、この世から、いじめは決してなくならない。
けれど、もし、いじめられてしまったとき、誰かに相談する勇気、その場から逃げる勇気、自分を変えようとする勇気をもつことが必要である。そういうこころの強さをもつために、こころを自由に豊かにすることが、たぶんこれからの世の中に必要とされることだろう。

梅雨に咲く花の美しさは、じめじめした蒸し暑い中で咲いているから、美しいと感じられる。いじめも、時にはじめじめした陰湿なものになるが、そうした中でも、自分のこころの中に花をもって生きていけたらいいな。

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# by tonepedra | 2013-06-04 09:46