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あをによし 奈良の都の 薬草曼荼羅

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「Power Plants」への想い

去年、私が参加したワークショップで、一番こころに残るものは、「Power Plants 植物療法と芸術療法 ~植物の薬草文化を学び、自由に表現する~」である。
このプログラムでは、毎回ひとつの植物に焦点があてられる。その植物について、植物療法と芸術療法それぞれの観点から、講義と実習、そしてシェアリングを行い、植物を通して自分自身をみつめるためのプログラムである。
去年10月から今年2月まで行われたプログラムは、以下の通りである。

第1回 「ローズ」(2009年10月)
第2回 「白檀」(2009年11月)・・・不参加
第3回 「モミ」(2009年12月)
第4回 「ミント」(2010年1月)
第5回 「梅」(2010年2月)

そして、今後はあと二つ予定されている。
第6回 「桜」(2010年3月31日予定)
第7回 「沈香」(2010年4月3日予定)

このプログラムの内容の詳細については、主催者の村上志緒さんや渡辺えり代さんのホームページやブログで紹介されているので、興味のある方はご覧いただきたい。私はここでは、参加者の立場として、感じていることを述べたい。

そもそも、私が、村上さんと渡辺さんと初めて出会ったのは、2009年9月の清里リトリートプログラム「森のハーブと芸術療法」であった。お二人は、それぞれの専門分野において知識や経験が豊富で、なおかつ感性やお人柄も素晴らしいが、それ以上に素晴らしいのは、お互いを認め合い尊重し合って、お互いの良さを活かしながら、植物療法と芸術療法を広く深く展開させ、見事にコラボレーションさせていることだった。このプログラムは、単純に、「植物療法+芸術療法」というものではなく、「植物×植物療法×芸術療法=∞(無限大)」であると感じている。つまり、ひとつの植物を通して、植物療法と芸術療法の観点から、自分の生活や生き方、さらには自分を取り巻く環境(エコロジーという視点だけでなく、人間関係や社会性も含めた、広い意味での環境)をも見つめ直すという意味において、無限の可能性をもっているのである。「Power Plants」という名の通り、まさに∞(無限大)の力をいただいているのである。

植物と人間の関係性や影響力は、さまざまあるが、あえてひとつ取り上げて言うなら、「癒しと奉仕」である。これは、このプログラムで渡辺さんが紹介してくれた本、竹村真一著「宇宙樹」に書かれていた言葉である。私は、この「癒しと奉仕」が、人間と植物、そして人間と人間を支えあっているキーワードだと感じた。たとえば、よく、「植物(花とかハーブとかでもよい)に癒される」と言うことがあるが、「癒し」は、「奉仕」なしには生まれない。また、「癒し」なくして「奉仕」もない。植物に癒されている自分は、実は、何かしらの形で、植物に奉仕している。植物に奉仕するということは、植物を育てるとかそういうことではない。植物を見たり、食べたりすることも、広い意味では植物に貢献していることになる。食べたら、植物の個体としてのいのちは終わりかもしれないが、実は、いのちはつながっている。人間は食物を得るために、植物を栽培したり、守ったりしている。それは、お百姓さんだけの仕事ではなく、栽培から売買、そして私たちの口に入るまで、社会全体のプログラムとして成り立ち、貢献されている。
「Power Plants」のプログラムの中でも、癒されるばかりではない。植物療法でハーブレメディを作る実習では、お鍋でぐつぐつ熱しているときに、やたら熱くて、火傷しそうでしんどかったり、芸術療法で画用紙に何かを表現するときは、何をどう表現するかが決まるまでは、やたらと悩んだりもする。だが、熱くて火傷しそうな苦労をして作った軟膏などのハーブレメディは、私たちのからだとこころを癒してくれるし、画用紙に苦労して表現した作品は、シェアリングの時間で、いろんな方からいろんな意見や感想をいただき、今まで自分が気付かなかった自分自身を発見することが多い。人間と植物、人間と人間が、互いに「癒しと奉仕」の関係性にあることに気づく。

人間は「癒し」と「奉仕」が、バランス良く成り立っているときが、一番幸せなのかもしれない。誰かに(何かに)癒されている自分は、誰か(何か)を癒している存在であるし、誰か(何か)に「癒されたい」と求めている自分は、誰か(何か)から「癒されたい」と求められている存在であることに気づくことが、大切なのではないかと感じられる。

tone
by tonepedra | 2010-03-23 06:13 | 薬草/植物療法